2016年10月
10月25
10月19
10月18
先日、レッスン中に間違えて泣いてしまう子がいました。
そのまま泣き続けていましたので、「続きをやるかやらないか自分で決めてください」と一言。
状況がわからないでしょうから、これを読んだだけでは「冷たい」とか「それはない」などといろいろな感想を持たれると思います。
これだけは誤解がないようにしておきますが、間違えてはいけないとは言っていません。むしろ、私は間違うことこそ必要だと思っているからです。
成功体験は大事です。しかし、人生でいつも成功するなどあり得ないと思っています。
誉めて育てるも大切です。誉めて育てた結果、叱られた経験のない人は大人になってどうしていますか。ということです。マイナス経験こそ幼児期にするべきです。どちらかに片寄らないバランス。この感覚と感性は大人が持ち続けて磨くべき課題です。
そのまま泣き続けていましたので、「続きをやるかやらないか自分で決めてください」と一言。
状況がわからないでしょうから、これを読んだだけでは「冷たい」とか「それはない」などといろいろな感想を持たれると思います。
これだけは誤解がないようにしておきますが、間違えてはいけないとは言っていません。むしろ、私は間違うことこそ必要だと思っているからです。
成功体験は大事です。しかし、人生でいつも成功するなどあり得ないと思っています。
誉めて育てるも大切です。誉めて育てた結果、叱られた経験のない人は大人になってどうしていますか。ということです。マイナス経験こそ幼児期にするべきです。どちらかに片寄らないバランス。この感覚と感性は大人が持ち続けて磨くべき課題です。
10月12
情報量が溢れる一方で、何を信じて選択するか問われる場面は生活の中で必ず訪れます。
そして、今ね若者世代に接していて感じることは、与えられなければ何をして、どうするべきかという問題解決ができないことです。
そして、答えが決まっていないものに対する抵抗感を感じます。
何をしてどのような手順を踏むか…
この思考過程が社会では大切だと思うのですが、自分で発見する喜びを感じられなかったり、最後までやり遂げた経験が希薄だと問題解決の力は低いように感じます。
その力は幼児期の習い事で身に付くように思います。以前親と子に別れて、説得対決という課題をしたことがあります。子は「辞めたい」親は「辞めさせない」というテーマでどちらが説得して納得させるかということです。
社会は「合わない」だらけです。その中で何かひとつのことをやり遂げる、続ける経験は得ておきたいものです。
そして、今ね若者世代に接していて感じることは、与えられなければ何をして、どうするべきかという問題解決ができないことです。
そして、答えが決まっていないものに対する抵抗感を感じます。
何をしてどのような手順を踏むか…
この思考過程が社会では大切だと思うのですが、自分で発見する喜びを感じられなかったり、最後までやり遂げた経験が希薄だと問題解決の力は低いように感じます。
その力は幼児期の習い事で身に付くように思います。以前親と子に別れて、説得対決という課題をしたことがあります。子は「辞めたい」親は「辞めさせない」というテーマでどちらが説得して納得させるかということです。
社会は「合わない」だらけです。その中で何かひとつのことをやり遂げる、続ける経験は得ておきたいものです。
10月11
子どもだって今日は気持ちがのならないとか今日は行きたくないというときもありますね。大人だってあります。行きたくないなぁってときが。
私は行きたくないという子に対して「今だ」というタイミングで声をかけます。それまでは保護者と子どものやりとりを見ています。行かせようとする親の気持ちとは裏腹に子どもは気持ちが向かない…。お互い反発し合うので、そう簡単にいきません。
私の声を掛けるタイミングも自分の感覚的なものなので、根拠はないです。
そして大事なのは子どもは一回行かないと決めて泣きじゃくると、自分で「行く」という判断はできないです。意固地になります。そんなときに、腫れ物をさわるかのように優しい言葉は掛けません。どちらかというと突き放します。それには理由があります。冷静な判断をさせることと、切り替えるきっかけを与えることです。大概ほったらかしておいて、感覚的なタイミングで声をかけると素直に教室に入ってきます。ほったらかしにされると、子どもは「おや?」となります。「あれ?なんで気にしてくれないの?」と。そこが我慢比べです。かわいそうと思うか、ほったらかしておくかです。これは子どもとの真剣勝負です。
そして、ひとつ。よく、幼稚園や保育園の門で「行く」「行かない」のやりとりは あります。行かせようとすると、子どもを引っ張る人がいます。それに反発して子どもは当然引っ張り返します。そうではなくて、子どもの後ろに立ち子どもを前にして同じ方向に進むようにします。連れていかれる意識を一緒に向かう意識にしてあげるだけで随分違います。
幼稚園勤務時代に門に立ち続け子どもと保護者の分離の様子を何百組と見てきた結果です。
私は行きたくないという子に対して「今だ」というタイミングで声をかけます。それまでは保護者と子どものやりとりを見ています。行かせようとする親の気持ちとは裏腹に子どもは気持ちが向かない…。お互い反発し合うので、そう簡単にいきません。
私の声を掛けるタイミングも自分の感覚的なものなので、根拠はないです。
そして大事なのは子どもは一回行かないと決めて泣きじゃくると、自分で「行く」という判断はできないです。意固地になります。そんなときに、腫れ物をさわるかのように優しい言葉は掛けません。どちらかというと突き放します。それには理由があります。冷静な判断をさせることと、切り替えるきっかけを与えることです。大概ほったらかしておいて、感覚的なタイミングで声をかけると素直に教室に入ってきます。ほったらかしにされると、子どもは「おや?」となります。「あれ?なんで気にしてくれないの?」と。そこが我慢比べです。かわいそうと思うか、ほったらかしておくかです。これは子どもとの真剣勝負です。
そして、ひとつ。よく、幼稚園や保育園の門で「行く」「行かない」のやりとりは あります。行かせようとすると、子どもを引っ張る人がいます。それに反発して子どもは当然引っ張り返します。そうではなくて、子どもの後ろに立ち子どもを前にして同じ方向に進むようにします。連れていかれる意識を一緒に向かう意識にしてあげるだけで随分違います。
幼稚園勤務時代に門に立ち続け子どもと保護者の分離の様子を何百組と見てきた結果です。
10月6
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塩原祥暁
1981年7月18日生まれ
国立小学校受験向けの幼児教室を都内で開く。保育士を目指す学生たちにも教鞭を執る。
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