保育と教育のこれから-塩原祥暁

現場から見た保育や教育の現状、子どもの姿、親の育児不安・・・ そしてこれからの 保育と教育の在り方について書いていきたいと思います

2016年05月

幼稚園教育要領

2018年に改訂される幼稚園教育要領では5歳半までにどんな能力が身に付いていることが望ましいか明記する方針のようです。
そのなかには
協同性
道徳性、規範意識の芽生え
自立心
などの10項目を挙げています。

これまで幼稚園教育要領ではおおまかな教育内容は示されていたが能力についての目標はなかった。10項目は更に46の小項目で詳しい内容を記載。
そのなかには、「数量、図形、文字などへの関心感覚」の項目では「数量、長短、広さや速さを比べたり数えたりするようになる」とあります。
学習に関する内容はどうしても小学校に行ってからでいいというイメージが根付いてしまっていますが、これは大きな間違い。幼児期の学習に接していると×を書くと➕になったり△が□になったりします。ものごとを認識しイメージする力がそう簡単に定着するものではないと教えられます。
また、協力するということが如何に難しいか、見せつけられます。決め事をするとき私たち大人はじゃんけんを駆使していませんか?くじ引きをしていませんか?その結果罰ゲームのように係りを引き受けることがありませんか?
これ一見手っ取り早いですが私の指導では必ず話し合いで決め事をします。普段の活動で自分の意見を言う、人の意見を聞くという「協同性」が身に付きます。
「けじめ」を意識することで物を大事に扱う、するべきことをしっかりやるという「道徳性、規範意識が芽生えます」
やってあげるのではなく、その活動の中で、試行錯誤し、時間を保証することで「自立心」が育ちます。
これらは指導者が何を身に付けさせたいかというビジョンがあれば必ず育てられることです。image

締め切りました

第3回保育のまなびはおかげさまで募集を締め切りました。
総勢20名ほどになりまして会場の都合もありますので締切日より早いですがご容赦ください。

今後は夏に保育者交流バーベキュー

秋には造形、製作指導方法について計画しています。
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牽制し合う子どもたち

話を聞かない、いや、聞けない。それとも伝え方がいけないのか、言葉の意味がわかっているのか。幼児にはたくさんの不思議が付いて回ります。
集団の中では、わかっている子でさえも、周りを見渡して行動を自ら起こせないことが続出します。

自信を持って行動するなど言葉では簡単に言い表せますが、これは相当レベルの高い課題です。

指示を出しすぎては自ら行動する子は育ちません。そうは言っても、聞く習慣もつけたいです。

最近思うことは幼児の思考は順番に記憶することができるのだろうかということです。この思考の訓練が実は聞く力と密接な関係があるように思っています。

思考のなかで順番を整理することができたら、聞く力は飛躍的に伸びるような気がします。a0b363e8.jpg

模索する子

最近気になるのは、落としたものを直ぐに拾おうとしない子、探すときに手を動かしてかきわけたりするのではなく、じっと見ているだけの子が増えたと感じています。
モノへの執着が薄らいでいるように感じます。私はこだわることは良いことだと思っています。
日常の子どもの行動が変化していくのは子どもが一昔前と変わってしまったということなのでしょうか?
いや、そうは思わないのです。環境によって変えられてしまった子が実に多いと感じています。
一言で環境と言ってしまえば簡単なのですがその環境を作ること、継続することは大変なことだと思います。
育ちはその一瞬ではなく、見通しをもつこと。そして結果主義の現代において、すぐに結果がでないと、あれこれと始めてしまう気持ちもわかりますが、一つのことをじっくり取り組んでみたほうが「育ち」に関しては結果が出やすい気がします。

急がば回れです。

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さようならは死語ですか

今朝のテレビで「さようなら」が死語という特集をしていました。関西地方では7割程が使わないとしています。
そのかわりに、「じゃあね」「またね」「お疲れ様でした」などの言葉を使うとのことです。さようならを使わない理由は永遠の別れを連想するとのことです。
さぁみなさんはどう思いますか?
私は言葉の大切さ、もっと言うと母国語の大切さを現場で痛感しています。
おはようございます
こんにちは
こんばんは
さようなら
ごきげんよう
おじゃまします
ごめんください

このような挨拶に関する言葉を死語としていいはずがないと思います。礼に始まり礼に終わるこれが日本人の良さだと思います。
日本人が母国語を大切にしないで誰が大切にできるのでしょうか。今一度言葉の力を噛み締めるべきだと思います。
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子ともたちの社会は家庭

子どもにとっての社会は家庭です。家庭のなかで、社会を学びます。人は一人では生きていけない弱い生き物。頑張ることで乗り越えられるものがある。
どう頑張っても上手くいかない…。
いろいろなことを学ぶのです。頑張れという言葉が負担になるからあまり使わないようにという方もいますが、私は幼児期にはやはり、頑張れといいたいです。できた、できないの結果てはなく、やっぱり挑戦している人は乗り越えたとき、やり遂げたときの達成感や喜びを知っているからです。
それを知っている子は何に対してもやってみるという前向きな気持ちになれます。
意欲とか思考力、心の優しさは一夜漬けや暗記では身に付きません。
だから、私が子どもと接するときにはいろいろな仕掛けをします。
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スマホ子育て

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ゴールデンウィークも終わりいよいよお仕事が始まりました。お休みは有意義になったのではないでしょうか。
どこにいっても混んでいたり、待ち時間が長かったりします。
そこで救世主となるのスマホだったかもしれません。
子どもたちがよく、スマホを操作している場面に出くわします。
私は悪いことではないと思いますが、こんなことが言えると思います。
小さいときからスマホや携帯ゲーム機を相手にしすぎている子は、人への興味が薄れていると。
それは家庭ではわかりません。ではどこでわかるかと言うと、集団生活の場である幼稚園、保育園です。人に興味がないと、話は耳に入ってきません。人に興味がないと、関わろうとしません。
その原因を作ってしまっているとするならばスマホも、ゲーム機も少し使い方を考えなければなりません。
何事もバランスです。

子どもが好き→不思議だなぁ

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保育に携わる人に職業を目指したきっかけや働いている方にどうしてこの職業に就いたのか伺うと、やっぱり多いのは「子どもが好きだから」という一言が多数出ます。
好きが前提条件となると私たちは何を他に身に付けていなければならないのでしょうか?
現在、学校で学んでいる方の入り口は「子どもが好き」で構わないのですがそれに一つプラスαが欲しいのです。これは現場で働いている方にも共通します。
それは、「子どもって不思議だなぁ」と感じることができるかです。興味関心を持てるかどうかです。
これがないと「子どもが好き」だけでは務まらない職業だと思ってます。
子どもの「なぜ?」を探究したり、自分なりの仮説を立ててみるとものすごく奥深さを感じます。
子どもは面白いですよ。

About
塩原祥暁
1981年7月18日生まれ

国立小学校受験向けの幼児教室を都内で開く。保育士を目指す学生たちにも教鞭を執る。
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