昨日は保育者養成校での授業がありました。クオーター制度を採っている為3Qの終了日です。そして定期試験。試験問題を作るのも実は一苦労です。多くの質の高い保育者を育てたいという思いを込めて試験問題は作成しています。その中で、事あるごとに私が問うのは「今までの人生の中で心に残っている先生」について自由に記入してもらいます。これは非常に良い収穫ができます。生徒は「こんな所を見てるんだ」とか「こういう事が心に残るんだ」となるからです。そして先生は煙たい存在に扱われますが、誰にとっても心に残る先生がいるんだなと改めて先生や保育者の存在が大切であると気付かされます。
大げさに言えば先生の一言によってその後の人生も左右することがあります。皆さんは心に残る先生はいますか?そしてそれはなぜですか?そんなことを改めて考えてみるのも良いかも知れません。
さて、タイトルにもしましたが、熱意は伝えるものなのか伝わるものなのかどちらなのでしょうか。私は最近まで伝えるものだと思っていました。
しかし。。。どうやら伝わるもののようです。手前味噌になりますが、園での指導でも「先生は熱意がある」と仰っていただけます。そして今回学生にも授業の感想を書いてもらいました。これは自分自身の指導に活かしたいので正直に書いてもらってます。
その中で「先生の保育に対する熱意・・・」とか「先生は熱のこもった暑い授業をしてくれた」(この学生は誤字だと思います)いや、このように暑苦しい授業だったのかも(笑)「先生は熱血っていう感じで本当に子どもが好きなんだと伝わった。」などと書いている学生がいました。ということは伝えるものではないのだと改めて思いました。確かにこんなこと意識してやっていたら胡散臭いです。
熱意は必ず伝わるのだと。それは大勢でなくてもいいのだと思います。たった一人でも伝わればそれは伝染していくようです。コツコツやるしかないですね。
大げさに言えば先生の一言によってその後の人生も左右することがあります。皆さんは心に残る先生はいますか?そしてそれはなぜですか?そんなことを改めて考えてみるのも良いかも知れません。
さて、タイトルにもしましたが、熱意は伝えるものなのか伝わるものなのかどちらなのでしょうか。私は最近まで伝えるものだと思っていました。
しかし。。。どうやら伝わるもののようです。手前味噌になりますが、園での指導でも「先生は熱意がある」と仰っていただけます。そして今回学生にも授業の感想を書いてもらいました。これは自分自身の指導に活かしたいので正直に書いてもらってます。
その中で「先生の保育に対する熱意・・・」とか「先生は熱のこもった暑い授業をしてくれた」(この学生は誤字だと思います)いや、このように暑苦しい授業だったのかも(笑)「先生は熱血っていう感じで本当に子どもが好きなんだと伝わった。」などと書いている学生がいました。ということは伝えるものではないのだと改めて思いました。確かにこんなこと意識してやっていたら胡散臭いです。
熱意は必ず伝わるのだと。それは大勢でなくてもいいのだと思います。たった一人でも伝わればそれは伝染していくようです。コツコツやるしかないですね。