保育と教育のこれから-塩原祥暁

現場から見た保育や教育の現状、子どもの姿、親の育児不安・・・ そしてこれからの 保育と教育の在り方について書いていきたいと思います

2015年01月

叱れない大人

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今朝、情報番組を観ていたら叱れない人が増えたという特集をやっていました。

他人を叱る、子どもを叱るこれって確かに難しいかなと思います。とくに現役小学校の先生たちの言葉には衝撃でした。
「子どもを叱っているとき親の顔が浮かぶ」「うちの子にはびしびしやってくださいという親が本当に厳しく叱ると文句を言ってくる」「もはや子どもではなく、お客さまとしての対応になってしまう」

特に小学校以降ではなかなか保護者と接する機会がないので、そういうこともあるのでしょう。

いけないことをいけない!と言える世の中でなくなっているのは感じます。注意したいと思うことがあってもそのあとが面倒だから、見て見ぬふりをするという意見もありました。

確かに最近では逆ギレという言葉があるように注意した人に仕返しする事件もあります。その人のことを思っていう一言を今一度考える時かもしれません。

子どもへの指導で揺るがないのは保護者がいてもいなくても私はいけないことをしていたら、注意もします。叱ります。それはこの仕事に命を懸けているからです。お金をもらって仕事としている以上それは最低限のことで教育とはそういうものだと思うからです。
褒めることにクローズアップされて、叱ることは良くないという考えもあります。

叱る経験をしたことがある方はわかるでしょうが、叱るって凄いエネルギーを使いますし、褒めるより難しいです。

時代と共に変わらなければならないものもあれば、変わらない普遍的なことも必要と感じています。

自信と承認

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子どもたちが活動を始めるとき年々周囲を見渡してお互いを牽制しあう姿が見られます。以前であれば合ってようが間違ってようが取りかかる姿がありました。

自信のなさ
間違う恐怖
失敗の経験

これらが原因のように思います。

子どもが何かやっていて失敗しそうなとき、つい「あっ!」と言って手を出していませんか?

間違うのが可哀想なんて思っていませんか?

子どもがやろうとしていることに対して先回りして何でも手を出していませんか?

子どもは賢いです。その一つひとつが私は信用されてないと思うようになります。その結果物事に対して不安しかなくなります。

大怪我や危険が伴うときはもちろん止めなくてはなりません。しかし、服が汚れないように、怪我をしないようにと守られた環境ではうまくいかないことのほうが多いかも知れません。

よくやったね!がんばったね!残念だったね!次頑張ろう!良い考えだね!この程度で十分です。

花まる学習会の高濱代表は単純明快「メシの食える大人を育てる」と言っています。実はこの考えに私は大賛成です。

幼児期に周囲の子と違うな。何でうちの子はできないのかなと周りと比べる必要はなくて、それは将来、社会に出たときに武器になることかもしれません。

というのも社会に出たときにモノを言うのはオリジナリティだからです。発想、工夫、創造などが必要でみんなと同じでは魅力がなくなってしまいます。

学びあい

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三学期いよいよ、まとめの時期になりました。幼児期に遊びと生活を土台とした指導法に出会い、実践していくなかで最後の砦だと勝手に思っている内容があります。それはパズルの学習です。
今年もその時期に突入しました。子どもたちに先生役になってもらい、みんなで完成させるようにしています。だから、私は見ているだけです。教える先生役には決まりがあります。
それは
1、手を使わず口頭で説明すること。
2、誰にでも教えていいわけではなく、教えてと言われた場合のみ教えること。

子どもたちの姿を見ていると実に教え方の上手い子がいます。そしてその学びあいの中で今日はある子が「教えるって大変だね」と言いました。思うようにいかないこと、口頭で説明することがいかに相手に伝える手段として難しいか。この子達は良い経験を積めたかなと思いました。

クラスの一体感。

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幼稚園、保育園の5歳児がクラスという枠組みの中でみんなでやり遂げる達成感を味わえるようにするのは難しいことだとは思います。どうしても自分が自分がと自分の周囲のことに目が向かない時期でもあるからです。では幼稚園や保育園ではなぜ発表会や運動会などクラス単位のまたは同学年同士の演目などを行うのか。
そこにはそれぞれの役を全うすることで大きな力となり作り上げる達成感や充実感を味わうことのできる貴重な経験なるからだとおもいます。こういうときに保育者が目的を明確にし、ポイントを押さえておくことが必要です。そうでないと「みんながんばったね」の 一言で終わらせてしまうからです。それぞれの役回りがあって全体が成り立つ、みんなががんばったから、全員が達成できた。今の子どもたちに欠けているのはこの経験です。
一人の力は無力でも多くの力が集まればできることがあるという経験は必ず積ませてあげたい力です。
もうすぐ3月。「ねらい」「目的」は明確にする必要があります。例年通りにならないように変化も必要です。

つまようじ混入事件

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先日逮捕された少年。果たして19歳で少年というかは別にして。専門家たちはは彼の構って欲しい、自己顕示欲が強いなど、どの方も見方は一緒のようです。もちろん心理の分析からしたら、そうなるのでしょう。
自分をみてもらいたい。存在感を示したい。生きているっていう実感も感じていたかもしれません。

ただ、私は違う角度から見たいのです。彼の周囲にどれだけ本気の大人がいたのかと。
当たり前のように不登校だったなど聞かれますが、何かその当時に手を打っていたのであろうか。もちろん、学校に来ない子を来させるようにしたり、きっかけをつくったりすることがそう簡単でないことはわかっています。
ただ、この少年に今までかかわっていた大人は本気だったのか。

幼児期、学童期含めて大人の関わりかたでどうにでもなることが多い気がします。
だから関わった以上本気で接することを忘れてはいけないと思います。

彼のしたことを肯定する気はないです。でもなぜか彼の淋しさが伝わってきます。こういう手段でしかかかわりを持てなかったことは彼自信の問題もあるかもしれませんが、周囲の大人との関わりが大きいように思います。

歴史を感じる大切さ

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日本のことをどれだけ知っているのか。そう考えるとまだまだ自国のことを知っているとはいえないと感じました。
この三連休は長崎へ旅に行ってきました。長崎は歴史の宝庫だなとおもいました。日本最古の教会や、貿易港の出島。長崎の原爆。海底炭鉱の端島(軍艦島)天草四郎の島原の乱。雲仙普賢岳の被災。これらを目の当たりにして日本にいながらにそれぞれの土地には歴史がたくさんあります。
国際化が叫ばれ海外に目が向いていきますがまずは日本の良さ日本の出来事を知ってこそ海外に目を向けられるだと思います。

必要以上のへりくだり

明けましておめでとうございます。今年も気になる課題、気になる事柄にどしどし自分の考えを書いていきたいと思います。

そして、一発目は「必要以上のへりくだり」です。どういうことかというと、テレビを観ていて感じるのですが、「~させていただいた」という言い方やたら多くて・・・。先日も好きなタレントの本を買った方がインタビューで「以前〇〇さんの本を買わせていただきました。」なんて言っていましたが、これ、普通に考えたらおかしいです。スポーツを観ていても「勝たせていただきました。」なんて言うことを聞くと違和感があります。

まずは日本語!!世の中は英語、英会話ですがここで1つ伝えておきます。

以前あるテストを成人向けにしました。それは書き言葉と話し言葉についてです。

・おとおさん
・とうい
・おとおと
・ほおせんか(花)
・つまよおじ
・こうろぎ
・こおゆう(こういう)
などの間違いについて20問近く問いました。その結果全問正解は一人もいませんでした。(50名中)

これが現実です。話し方伝え方は私個人のテーマにしました。DSCN2505
About
塩原祥暁
1981年7月18日生まれ

国立小学校受験向けの幼児教室を都内で開く。保育士を目指す学生たちにも教鞭を執る。
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