保育と教育のこれから-塩原祥暁

現場から見た保育や教育の現状、子どもの姿、親の育児不安・・・ そしてこれからの 保育と教育の在り方について書いていきたいと思います

2013年03月

いよいよ4月

新年度が始まろうとしています。新しい出会いや別れがあり、新たなことに挑戦される方もいるでしょう。
頭で考えてばかりになりがちですが行動してしまうほうが上手くいく場合があります。
たくさんの出会いで道が広がり、たくさんの別れで物事が深まります。4月からチャレンジです。やってみなくちゃわかりません。

できないわからないしらない

学習指導要領の3割削減いわゆるゆとり教育は本当にどうだったかがこれからの社会で試されていきます。

その年代の方たちは私たち大人が「当たり前」「常識」と思っていることを知らない世代です。なんでできないの?なんで知らないの?そう思うことがたくさんあっても、そこから伝えなくてはならないこともあります。

脱ゆとりは言葉としては良く聞こえますが、裏を返せば詰め込み教育復活ということです。本当にゆとりがあったほうが良いのは教師です。

サトリ世代

今の若い方たちをゆとり世代ならずサトリ世代とも呼ぶのだそうです。結果を悟るがゆえに行動を起こす前に諦めてしまう。「どうせ…」と思うことはたくさんあります。諦めが肝心とも言います。半面やればできる、やってみなくちゃわからないと私は思っています。
幼児期はぜひ「やればできる。やってみなくちゃわからない」を育てたいです。たくさんの経験、初めて出会う出来事だからこそ挑戦をしてもらいたいのです。
大人になればその道のプロが必ず現れます。それまでは可能性を広げていくことが子どもと関わる者の使命です。

大人が、社会がサトリ世代を生み出してしまったなら、「今の若者は…」と言えないです。

若い力

今日はゴスペルのコンサートに行ってきました。メンバーは専門学校の学生です。普段の姿とは違いみんなイキイキ輝いていました。
ゴスペルってなんだか敷居が高くて行く機会がありませんでしたが、今回足を運んで身近になりました。学生が必死にひとつの目標に向かい、力を合わせている姿に熱いものが込み上げてきました。
今の若者は…っていうけれど若いってそれだけで武器になります。彼らのエネルギーは有り余っています。
確かに高齢者の力は社会に必要です。でも社会に若い力も必要です。彼らの純粋さは今の大人は見習うことが多々あります。
話はゴスペルに戻りますが、実に選曲が良いです。自然と口ずさみ、自然と元気になっていく自分。今日は学生にパワーをもらいました。ありがとう。
終わった時の表情は実に「いいね!」を連打したくなるくらい、やりきった表情でした。
若い力に魅了された時間でした。

やっぱり嬉しい「できた!」

できた!これが本当に大切な言葉だと思えるようになりました。数年前までわざわざ言わなくてよい。と思っていましたが、「どうしてわからないの!」「何回言ったらわかるの!」などと叱られる事が多くなってしまう日常では、この「できた!」が自分に対して自信を持つ言葉だと思います。この成功体験を増やしていくことと同時に失敗や間違いなどの悔しい気持ちも育むことが幼児期には必要です。要するにバランスです。
先日、積木のパズルを知り合いの方に作成していただきました。形がL字型や凹凸型など様々あり、組み合わせると正方形になります。大人が夢中になってしまいます。
そのパズルを父にもやってもらいました。苦戦しながらも「できた!」満面の笑みです。
できた!時の喜びに年齢は関係ないと思いました。どうか子どもたちに最後の瞬間の「できた!」を味あわせてほしいと思います。

お別れの回

年度末を迎え各園では最後の指導を迎えています。
毎年の恒例は必ず写真を撮らせてもらっています。一年間関わらせてもらえますが、月に2回から3回の指導ですので多くても30回のみです。
毎日接するわけではないから見えてくるものがあります。毎日接するわけではないから密な関わりを心がけています。
いつも最後になって思うことは、一人ひとりが必ず成長するということです。速度は違います。一人ひとりをよく見るということや個性を大切にとよく聞きますが、簡単に口にするほど易しいものではないです。
まだまだ見逃してしまうことがありますが、子どもたちは教科書よりも参考書よりも素晴らしい生きた教科書です。また4月に向けて準備を始めます。
どのような出会いがあるか楽しみです。

たった一つの宝物

今日は指導に行っている保育園で年間最後のレッスンでした。ピンク、青、きみどり、黄色のビーズを使い世界でたった一つのブレスレットを作りました。
 どの子も真剣です。自分でビーズの配列を考え、糸ゴムに通していきます。実は順序、法則性の発見という内容で前回レッスンを行ないました。思いつきの内容ではなく、前回の内容を踏まえたものです。
 出来上がったら、一人ひとりに腕に巻いていきました。みんな「わぁきれい」と大喜び。自分で作ったからこそ大切に思えたのでしょう。しかし、ある子が「世界でひとつではないよ」と言いました。どうして?と聞くと「壊れたら、お店に行ってビーズを買ってまた作ればいいんだよ」と。これはモノが溢れ生活が豊かになった弊害です。代わりのものがいくらでも買えてしまうのです。だから、モノを大切にしない。無くしてもまた、もらえる。いまの子ども達にはこの思いが非常に強いです。だからこそ私は、あげません。ものを大切する。これは幼児期から育てたい力です。
 最後に子ども達は園長先生に「このブレスレットをつけて卒園式に来ていいですか?」と聞いていました。園長先生も「もちろん!!」本当に有難いことです。子どもの育ちに関わるということは中途半端ではできません。真剣にいつまでも熱くいたいと思いました。

あれから2年

東日本大震災から2年。あのとき何をされていましたか?どこにいましたか?私は幼稚園の課外授業で子ども達と一緒でした。いつもと違う揺れに、本当に驚きました。
 私たちが日常の生活が送られている中、被災された県ではあのときのまま時間が止まっている場所もあります。避難を余儀なくされ故郷に戻られない方々が多くいることを決して忘れてはならないでしょう。
 震災は今を精一杯生きるということがどれだけ大切で、どれだけ大変かを教えてくれました。この原体験を忘れないでいることが本当に必要なことだと思います。
 
 

そつなくこなすというコトと不器用

そつなく淡々と行うことも悪くないです。不器用だけど一生懸命やる人を皆さんはどう思いますか?
 楽しいと言う事は目標や夢があるからだと思います。なぜか楽しいという事は楽(らく)と書きますが、ラクだから楽しいという訳ではありません。苦しい事、大変な事でも「好きなこと」は楽しいのです。そこには必ず目標があるからです。
毎日淡々と過ぎてしまってはこなすだけで終わってしまいます。そうならないためにそしてどうせやるなら楽しくわくわくと・・・。
不器用でもいいいじゃないですか!時間がかかってもいいじゃないですか!そんなとき意外と良い表情していますよ。

町作りが先?鉄道が先?

東日本大震災からまもなく2年。あのときから被災された県は復興に向かっています。福島県の原発問題はコンスタントにニュースで流れたり、取り上げられます。
岩手県の津波の被害に遭った大槌町で暮らす中学生の特集が最近ありました。高校進学を前に鉄道の復旧が進まず通う手段がないというのです。
町が復旧しないと線路ができないという鉄道会社側と鉄道ができないと町の暮らしも戻らないという行政側とで議論は平行線です。
やはり置いていかれるのは子どもたちです。議論は平行線でも一日一日は過ぎていきます。何かの議論には弱者や庶民は置いてきぼりです。末端にいる人たちにこそ意見を求めていくことが必要だと思います。
About
塩原祥暁
1981年7月18日生まれ

国立小学校受験向けの幼児教室を都内で開く。保育士を目指す学生たちにも教鞭を執る。
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